現実という名の最高峰VRゲームと、眠りの中で出会う「本当の私」

私たちは生きているとき、つまり「起きている今」こそが本物だと疑いもなく思い込んでいます。

でも、それは本当にそうなのでしょうか?

実は「現実と思っているこの世界こそが幻想で、夢の中こそが現実なのではないか」――そう捉えてみると、驚くほど辻褄が合うことが多すぎるのです。

例えば、言葉の意味に注目してみてください。

私たちが生まれた日は「誕生日」と言います。しかし、「誕」という漢字には「偽り(いつわり)」という意味が含まれています。

一方で、人生の終わりを迎える日は「命日(めいにち)」と書き、「命の日」と表します。

 誕生日=偽りが生まれた日(アバターの誕生)

 命日=本当の命が宿る日(ゲームのログアウト)

こう考えると、誕生日は「偽りの世界(ゲーム)へのログイン」であり、命日こそが「本当の命に還る日」なのかもしれません。

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「眠る」という漢字の成り立ちを見てみましょう。「眠」は目に針を刺し、意識を失わせる状態を表しています。

寝ているとき、私たちは目を閉じ、無意識の状態に入ります。

このとき私たちは、他人の思惑や社会のシステムに一切利用されることがありません。完全に守られた空間で、ただ「本当の自分」を見つめることができるのです。瞑想をするときに半眼で意識を内に向けるのも、これと同じ原理です。

寝ているときの自分こそが、本当の自分。

そして起きている現実世界は、ものすごく精巧に作られた超高性能な「VRロールプレイングゲーム」なのです。

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脳は、五感の中でも特に「視覚」の情報処理に莫大な容量を使っています。

脳で考えていること、計算していることのすべては、実はゲームをプレイするための「偽りのプログラム」に過ぎないのかもしれません。

本当の自分を感じているのは、脳ではなく腹、背中、心臓といった身体の奥深くです。

脳で思考しているとき、人は「ワンネス(大いなる一体感)」から分離し、本来の個性や感覚を最も抑え込んでしまっています。

では、なぜ私たちはわざわざこの地球に生まれてきたのでしょうか?

それはきっと、「ワンネスの安心感」と「個としての身体を持つ体験」という、融合と分離の両方を贅沢に楽しむためです。

目を瞑り、眠りにつくとき。私たちはワンネスとつながり、大元へと融合していきます。

五感をひとつ、またひとつと静かに手放していくこと。

それによって脳のノイズが消え、ワンネスに近づいたとき――私たちは「自分がなぜこの地球に生まれてきたのか」「本当は何をやりたかったのか」を、思い出すのです。

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